はじめに
模型を見て、どうしてこんな奇妙なデザインのままずっと使われたのだろうとか、こんなに画期的なものが開発できたのに何故その後使わなかったんだろうとか、他の地域の人はどうしてこのアイデアを使おうとしなかったんだろうといった疑問が生まれることがあります。
疑問を抱きつつ、当時のことを調べながら自分の模型の細部を確認していると、奇妙とかすごいとかの背景にある、その時代や地域のやむにやまれぬ事情が見えてきます。そこには、技術力以上に、資源の偏在と軍事力、経済力と社会の格差、宗教と地域の伝統…などのさまざまな要素が関わっています。
数十年に一度、戦争や政変によって、それまでのバランスが根こそぎ変えられ、せっかくできそうになっていたことが、ゼロまたはマイナスになってしまうことさえあります。
模型のディテールを見ながら、ゆっくりと動かし、「大変だったんだね」と労いながら時代や地域、そこで暮らした人々に思いをはせてみるのも、私の模型楽しみかたの一つです。
ドイツの鉄道では、国や時代、戦争、運営組織のありかたによって分けられる時代区分を7つ程度の”Epoche”にわけて扱います。Epocheの境界は異論もあり、ここでの境界は一例にすぎませんが、概ねどのEpocheがいつごろを指すかは一致しています。実物の写真や、模型のカタログや記事にもEpocheが記載されているので、各Epocheのイメージを持っておくと同じ型の製品でも違いを把握しやすいです。なお模型では、最初に作られた時代でなく、それが使われている時代の装備や塗色でEpocheを示します。
Epoche 0(1835-1870)
Epoche 0は鉄道黎明期です。1935年にドイツ最初の蒸気機関車 Adler号による営業運転が始まってから1870年までと考えます。以後ドイツの鉄道は 猛烈な勢いで拡張されます。
Epoche I(1871-1920)
Epoche Iは王国鉄道時代です。1871年にドイツ帝国が成立してから、第一次大戦に敗戦して、Weimar共和国のもとでDeutshe Reichsbahnができる1920年までと考えます。鉄道はまだ王侯貴族やエリート官吏のものでしたが、各王国鉄道で自由闊達な開発が行われ、鉄道技術は目覚ましく発達しました。
機関車では、1902~1913年にPreußenでRobert Garbe設計のG8, P8, G81が作られ、1908年にBayernでAnton Hammel設計のs3/6が作られます。
客車では馬車の客室を縦に複数つなげた形のAbtailwagen(まだ側廊下はありません)と、アメリカ由来の車端のデッキから乗り広い車内を持つGroßeraumwagenが地域のニーズに応じて作られました。初期は2軸または3軸、鋼工作技術が上がるとともに客車は長くなりました。
1914年から始まった第一次大戦では、機関車の互換性が問題になりました。その後のドイツ敗戦では巨額の賠償を要求され、多くの鉄道車両が賠償として戦勝国側に渡りました。
Epoche II(1920-1945)
Epoche IIは両大戦間の黄金期です。1920年、Weimar共和国の成立とともに鉄道が国営のDRに一本化されたところからはじまり、1945年の第二次対戦敗戦までと考えます。
BR01, BR50をはじめとする制式機関車がWagner, MeisterらDRG時代のテクノクラートによって開発され、客車ではWUMAG社により高速で乗り心地の良いGörlitz台車が開発され、風光明媚な車窓と豪華なしつらえで裕福な英国人たちをスイスのリゾートへ運ぶ列車 Rheingoldが、Bayernのs3/6やBadenのIVh機関車とGörlitz台車を履いた新造の豪華客車によって運行されました。
一方スピードを求めるビジネスマンや軍人・役人の要求に応え、ディーゼルカーや蒸気機関車と新技術によって時速160kmクラスの都市間急行が運行されるようになります。BR05による蒸気機関車の最高速度記録 (200.3km/h)も達成されます。しかし、それまでナチス・ドイツの国威発揚政策や宣伝と方向が一致していた高速鉄道の開発は、ナチス・ドイツが戦争と収奪に方向性を切り替えたと同時にピリオドが打たれます。
1939年以降、ナチス・ドイツは、領土の東方拡大と奴隷的労働力の収奪、人々の収容・抹殺をはじめます。ナチス・ドイツと一体化した鉄道はそのための重要な役割を担いますが、最後には連合軍の猛烈な爆撃によってその目論見は徹底的に破壊されてEpoche IIはその幕を閉じることになります。
Epoche III(1949-1968)
Epoche IIIは、第二次大戦後の分断期です。第二次大戦敗北後のドイツを戦勝4カ国が占領した連合軍軍政期ののち、西にドイツ連邦共和国、東にドイツ民主共和国が成立した1949年から、1968年の各車両がコンピューター番号化されるまでと考えます。
西側ではDeutsche Bundesbahn(DB) が生まれ、東側はそれまでの名前を引き継いでDeutsche Reichsbahn(DR)となりました。この時期、東西冷戦がはじまりドイツは分断されます。一部の厳重管理された国境鉄道を除き鉄道路線も分断されていきます。「西ベルリン」地区は東側の海に浮かぶ孤島のような西側領域となってしまいました。
南北に長くなった西ドイツでは路線の整備の遅れと空爆からの復旧が必要でした。1950年代初期のF-ZugはEpoche IIの生き残りの車両を利用しました。庶民の足としてはよく利用される路線ではUmbauwagenの3ygや4ygに戦前の荷物車をつなげて使い、利益が見込めない路線は、くたびれたDonnerbüchseやPreußenのAbteilwagenにDBマークをつけて使いました。
DBでの車両開発は、早くも1950年代に現在の二等客車の元になるUIC-X WagenやSilberlingとして知られるn-Wagenが生まれ、1961年に量産されはじめます。V60、V100などの小型ディーゼル機関車、E10、E41など標準化されたデザインの電気機関車も、1950-60年代生まれです。
欧州各国の鉄道当局はさまざまな工夫をして国際特急TEE(Trans Euro Express)の列車を開発しました。国ごとに電気方式が異なっていた上、電化区間も限られていたので、当初のTEEの多くは気動車です。1962年には西ドイツでUIC-Xの新しい車両設計基準に全空調による快適性を兼ね備えたTEE/IC用のGruppe63客車が生まれ、高速列車の新時代が開かれました。
東のDRでは、西側とは違う形の経済を支えるために蒸気機関車の再構築(Rekoという)が行われ、客車では歴史あるVEB Görlitz(旧WUMAG)の設計部門が直線的な2階建ての車両を生み出す一方、西側とは違うデザインで再構築(Reko)された箱型の客車が大量に生まれました。東側では電化は大幅に遅れました。
Epoche IV (1968-1994)
Epoche IVは車両のコンピューターナンバー導入の1968年から、東西統一後にDBが民営化して再スタートを切る1994年までと考えます。
西側のDBでは1971年から全車一等でInterCityが運用開始されます。 InterCityは1979年に二等車をつなげ、1時間ごとのダイヤで利便性をアップしました。
BR103が時速200kmでのInterCity牽引で花形になる一方、ハイテク機関車BR120が開発されるも無理がきかず置き換えは進みませんでした。
DBでは1987年頃、Produktfarben der deutschen bundesbahnという考え方を導入し、列車種別ごとの明るいカラーリングが採用されます。機関車は全身真っ赤に塗られ「前掛け」型の白い塗装がされました。
東側のDRでは、1980年頃まで蒸気機関車が本格的に活用される時代が続いていました。車両の開発は、BR243(統一後のBR143)電気機関車、屋根の高いY/B 70型客車や、快適性の水準を上げたHalberstadt型客車、継続して改良が続けられデザインが洗練されてきたVEB GörlitzのDoppelstockwagen(二階建て客車)があります。
Epoche V (1994-2006)
Epoche Vは再統合のと民営化の時期です。1994年の東西の鉄道統合から、車両番号がUIC化される2007年までと考えます。
1989年、ソ連の経済が行き詰まり、東欧で共産主義体制が連続的に倒されました。1991年、30年間続いたベルリンの壁による断絶も、終わりを告げます。
ドイツ鉄道では、1991年にICEが営業運転を開始し、1996年にBR101が運転開始したことによりBR103の退役がはじまりました。
政治体制の統一に遅れること3年、1994にDRはDBと統合し、民営化されました。1994年EU発足、シェンゲン協定により国境の人の移動が楽になりました。
東側で開発されたBR243電気機関車やHalberstadt型客車はさっそくProduktfarbenに基づいた色に塗り替えられ、西側領域でも使われるようになりました。
1996年以降、DBはCIの一環としてVerkehrsrot/Lichtgrau の色の組み合わせを推進しました。2001年以降IinterRegio, InterCityもそれに追従しています。
2000年代に入り、BombardierがTRAXX系列の機関車、SIEMENSがEuroSprinter系列の機関車を開発し、これらの電気機関車は電化方式の違いを越えて利用できるようになりました。
鉄道車両メーカーの吸収合併が進み、Bombardierがほとんどの鉄道車両メーカーを飲み込み、これと重電のSIEMENSが二大鉄道車両メーカーになりました。
Epoche VI(2007-現在)
Epoch VI は2007年から現在までをさします。
2007年1月より、車両番号体系の管理は、ドイツ鉄道から連邦鉄道庁 (EBA: Eisenbahn-Bundesamt) に移管されました。これに伴い、車両は12桁の「UIC番号」で管理されることとなりました。
高速新線が整備され、ICEのネットワークが充実し、機関車+客車のIinterCityの役割はICEの補完的なものに変わってきました。
Zürich-München間が電化され、スイスSBBのRaBe530(ETR610)の振り子式高速電車で結ばれました。SIEMENSの新型電気機関車Vectronが登場しました。DBでもInterCityが二階建て化しました。Silberlingは内装の近代化をしましたが、構造上バリアフリー化できず退役しています。代わりに低床式電車が普及してきました。
鉄道車両メーカーの吸収合併がさらに進み、ほとんどの鉄道車両メーカーを取り込んだBombardierを最後にフランスのALSTOMが吸収しました。これと重電のSIEMENSが二大鉄道車両メーカーになりました。
DBの現在の課題はサービスレベルの低下と事故多発です。
おわりに
ドイツは近代ヨーロッパの中で良い悪いは別として「出る杭は打たれる」ということを繰り返したように思います。蒸気機関車の技術が英国からもたらされると、いっせいに各地で線路を敷き数十年の間に何千両もの機関車と車両を作り戦争にも使います。戦争に負けるとそれらは賠償に取られ、飢餓生活が訪れますが、しばらくするとまた猛烈に技術開発しヨーロッパの中で頭一つ抜け出します。そしてひどい犠牲をともなう戦争をします。あまりにそれが猛烈なために、たびたびヨーロッパ諸国やソ連、米国から袋叩きにあい猛烈な反撃を喰らいます(当然と思います)が、数年でまた性能のよい車両を大量に生産し、結局それがヨーロッパ中に普及するということが繰り返されました。
そんな中で、単純に一つの項目だけに注目すれば予想外に早い時期に実現できていることがあるのに気づきます。たとえば蒸気機関車による時速200kmを1938年のBR05が達成したと知った時には「すごい、日本の新幹線より30年近く前!しかも蒸気!」と驚いたけれど、電車による時速210kmの達成はそれよりもはるかに早く1903年にはできてしまっていました。
以前は実験的にできるようになれば実用化は簡単だろうと考えがちなところがあった私ですが、鉄道という複合的なサービスが人の生活を支えるには、実験的にできたというのではなく、それを継続的に必要とする社会のニーズと、合理的なコストで運用できる安全対策と、普通の人たちが維持管理できるための教育と、スタッフに安定した給料を払いサービスを継続できる経営力が必要なんだと痛感しています。Epoche VIの項で少し書きましたが、現在のDBでも、技術的にはできてもコストの問題とサービス力の問題によってスポイルされていることが結構あるように思います。








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