時代背景
ソ連の力の失墜
Epoche II 末期には2000万人を越える犠牲者を出しながら東からナチス・ドイツを押し返したソ連も、1980年代末期には衛星国はおろか自分の国の経済活動さえ満足にコントロールできなくなっていました。
ロシア中央部の炭鉱地帯から首都モスクワに向けて石炭を満載した貨物列車が走り、その一方でモスクワから炭鉱地帯に向けて石炭を満載した貨物列車が走り、しかもいずれのルートでも途中で石炭の半分が盗まれてしまう、という有様だった
Glenn CarleさんがNewsWeek日本版の2022/9/20号にゴルバチョフの死にあたり寄稿した「GORBACHEF DESERVED BETTER」より
ドイツの統一
1991年、東西冷戦が終わりに近づき、東欧では民主化ドミノが起こりました。自ら始めたアフガニスタン侵攻で11年におよぶ泥沼にはまり疲弊し、計画経済運営にも失敗したソ連にはもはや東欧の民主化の流れを抑えつける力はなく、ついにベルリンの壁が崩れドイツは統一に向かいます。
Embed from Getty ImagesEUの発足
1994にEU発足でシェンゲン協定により国境を越えての人の移動が楽になりました。欧州の人々の間では、「国」という枠組みが自分たちに不便を強いていたという感じが一段と強まった時期だったのかもしれません。
ドイツ鉄道のできごと
ICE営業運転開始
1991年、西側のDBではICEが営業運転を開始しました。高速新線を最高速度280km/h(通常は250km/h)で走行し、ドイツの鉄道に新たな時代が到来したことを象徴するできごととなりました。
ドイツはTEEの頃以降、気動車固定編成よりも目的別の機関車と快適な客車の組み合わせを適宜繋ぎ変えることで最適な結果を得るという柔軟性優先の考え方で来ましたが、ICEの導入とともに、専用の車両で構成された固定編成という考えに立ち戻ったようです。

電車ばかりの日本から機関車牽引で連結・解結するヨーロッパのやりかたに旅情を感じていたのですが、鉄道もビジネスだから仕方ないですね

その後も高速新線は拡大し続けます。ICEは、電気方式や車両の規格は従来と上位互換なので、もちろん高速新線では最高速度が出せますが、古い線区でも架線があり軸重さえ許せばゆっくり田舎まで行けてしまいます。
BR103の引退
新時代のInterCityの牽引機としてインバーターと三相誘導電動機を使う新設計で1970年代末期から試作され、1980年代末期にやっと量産にこぎつけたBR120は思いのほかデリケートで無理がききませんでした。このためBR103はずるずると延命されながら使い続けられてきましたが、ICEとBR101の登場によりついにその役割を終えるときがきました。
東西ドイツの鉄道の統一
2つに分断していたドイツは1991年に統一しましたが、鉄道の統一は少し遅れました。DB/DRの45年に渡る分断は、保安設備や運行ルールなどにかなりの違いをもたらし、それをすり合わせするのに3年かかりました。
1994年1月1日、「ドイツ連邦鉄道 (DB)」と「ドイツ国営鉄道 (DR)」は統合の上で民営化(ただし株は全て政府が保有)され、「ドイツ鉄道株式会社」(DBAG: Deutsche Bahn AG) が発足しました。さらに「上下分離」「オープンアクセス」制度が導入され、競争原理によるサービスアップが期待されました。この1994年の統合を機に「鉄道改革」がスタートします。1999年には持株会社制となり、長距離鉄道運営会社、地域鉄道運営会社、貨物鉄道運営会社、駅運営会社、線路・インフラ保有会社のように、組織毎に分割され現在に至っています。民営化後は、ICE網の拡大や新型車両の投入を積極的に進めるようになりました。
それまで東ドイツで使われてきた機関車にはDBロゴがつけられ、客車には、InterRegioのFernblau(RAL5023)/Pastelblau(RAL5024)やNahvehrker ZugのMinttürkis(RAL6033)/PastelTürkis(RAL6034)の塗装がされて、西側の路線でも見られるようになりました。写真では1980年代にDRで生まれた優秀な電気機関車BR143(旧BR243)と、二等Abteilの窓が11個とUIC-Xよりも快適になったHalberstadt製のUIC-Z客車が、新塗装でDBのロゴを付けて運用されてます。

西ドイツのDBではGruppe61やGruppe63の客車が断熱材に石綿を使っていたことが問題になり、UIC-Z Wagenだけでなく、旧DRのY/B 70型の客車さえも、旧西ドイツの領域に貸し出されて使われることになりました。
鉄道における国境越え
シェンゲン協定
1994にEU発足とシェンゲン協定で国境を越えての人の移動が楽になりましたが、国ごとの電化方式の違いを電気機関車側で吸収するにはまだ時間が必要でした。すでにフランスの50Hzとドイツの16 2/3Hzを切り替え可能にしていた BR151型を除き、西のベネルクス、東のポーランドの直流とドイツの15000V 16 2/3Hzの間を同じ機関車はで運用できず、電気機関車の繋ぎ変えは国境駅のお定まりの作業でした。スイスは電圧周波数は共通でしたがパンタグラフの仕様が違ってるのでやはり国境で機関車交換が必要でした。一方ドイツとオーストリアは電気的仕様も物理的仕様も共通なのでそのまま直通できました。
複数電源方式の電気機関車の開発
DBでのBR120の開発・運用経験のあと、ADtranz(のちのBombardier)、SIEMENSはそれぞれ、進化したパワーエレクトロニクス技術を使い、駆動系が電源電圧・周波数に縛られない高速で力持ちの電気機関車の開発に成功しました。パンタグラフから取得した電源電流をいったん整流し、運転に必要とされる電圧・周波数の三相交流を動的にインバーターで発生させて三相誘導電動機を動かすいわゆるVVVFです。これにより、電源方式の異なる国境を越えての電気機関車の直通や、さらにディーゼル発電機を搭載することで、非電化区間の走行さえ可能になりました。
ADtranz-Bombardier TransportationのTRAXX
ADtranzは2002年にBombardier Transportationに買収され、ADtranz由来のセミオーダーメイド機関車は「TRAXX」ブランドとなりました。
TRAXX1(2002~)
TRAXX1は2002年に納入された スイスのBLSカーゴ向けRe485です。ドイツ、オーストリア、スイス用なので電源は15kV 16 2/3Hzのみでパンタグラフ形状が選択できるようになっているだけでしたが、複数国のシステムで利用でき、Re465より大幅に安価に調達できたことはBLSカーゴにとって大きなメリットでした。
TRAXX2(2004~)
TRAXX2は2004年にスイスのSBB向けに納入されたRe484です。交流15kV 16 2/3Hz、交流25kV 50Hz、直流3kV、直流1.5kVに対応した4電源機関車です。
TRAXX2E(2007~)
TRAXX2Eはディーゼル発電機由来の電力でインバーターと三相誘導電動機を動かす仕様の電気式ディーゼル機でBR246はHamburg-Kuxhafen間の非電化区間で2007年からMetronom社が運用、BR245はDB Regioの南バイエルン地域の非電化区間で2013年からDoppelstockwagenによるサービスで使われています。


SIEMENSのEuroSprinter
SIEMENSのEuroSprinterは各国の全国規模の事業者のほか、多くの民間鉄道事業者が使用しています。自社で保有・運用している場合もありますが、MRCE Dispolok社(三井物産系列の機関車リース会社、旧Siemens Dispolok社)のような鉄道車両保有会社からリースして運用している鉄道事業者も多いです。


最初に導入されたオーストリア国鉄で「Taurus」の愛称がつき、同型機がそう呼ばれるようになりました。
ES64U2 (1999-2006)
2電源対応の汎用電気機関車です。交流15 kV 16 2/3Hzと交流25 kV50Hz対応で、最高速度230 km/hです。
ES64U4 (2005-2011)
3電源対応の汎用電気機関車です。交流15 kV 16 2/3Hz・交流25 kV 50 Hz・直流3,000 V対応で、最高速度230 km/hです。
ES64F4(2003-2005)
4単電源対応の貨物用電気機関車です。EuroSprinterの貨物用機はES45U系の丸いデザインとは異なり、TRAXXに似た角張ったデザインになっています。側面には水平ビードがついています。交流15 kV 16 2/3Hz、交流25 kV/50 Hz、直流1,500 V、直流3,000 V対応で、最高速度140 km/hです。


Epoche IIIの代表的機関車は格下げへ
ADtranzやSIEMENSの新世代の機関車が次々導入されるなか、Epoche IVまでFernschenellzug用だった1950年代開発のBR110は、BR103ほど急速に退役にはなりませんでしたが、Nahverkehr用に格下げされ、徐々に見られなくなりました。末期には塗装が衰えてきても塗り替えられることもなく寂しい感じでした。
相次ぐ吸収合併
この時期、国家としての西ドイツと東ドイツが統合する動きがあるのと同様に、車両製造会社にも動きがありました。蒸気機関車時代からの企業が大企業に買収され、数年で会社名が変転したり、国営だった東ドイツの企業が民営化され、数年で大きな会社に買収されたりしました。
Henschell→ADtranz→Bombardier Transportation
1996年にADtranzがHenschellの鉄道車両部門を買収しました。
2001年にBombardierがADtranzを買収しました。
WUMAG→Deutsche Wagonbau AG→Bombardier Transportation
1992年に民営化し、スイスのSバーンやDBに二階建て車両を販売します。
1995 Deutsche Wagonbau AGに改組、二階建て車両を改良します。
1997 Bombardier がDeutsche Wagonbau AGを買収しました。
LEW(Henningsdorf)→Bombardier Transportation
Bombardierに買収されました。
Krauss-Maffei→SIEMENS
1999 Krauss-Maffeiの鉄道車両部門は1999年に Siemens Krauss-Maffei Lokomotiven GmbH となりました。
2001 SIEMENSは、Siemens Krauss-Maffei Lokomotiven GmbHを吸収合併しました。
色はみなVerkehrsrotに
DRとDBが統合されてから数年、客車の色はProduktfarben der Deutschen Bundesbahn のスキームに従い、Lichtgrau(RAL7035)をベースとして鮮やかな色で列車種別をあらわすようになっていましたが、その後、1996年からFernverkehr以外は広告車以外みなVerkehrsrot(RAL3020)をベースとする真っ赤な時代が来ました。
ICEとInterCity客車のみ、Lichtgrau(RAL7035)地にverkehrsrotの線でしたが、ほかは機関車も客車も種別関係なく真っ赤になっていきました。
電車化の進展
BR120の開発には16年も費やしましたが、その後、パワーエレクトロニクスの進歩によりインバーターで三相誘導電動機を駆動する仕組みはどんどん小型化されて電車に搭載されています。平地を走る時速160km以下の旅客列車については、強力なモーターやファンと排気口を持つ電気機関車を必要とするケースが減っていきました。電気機関車は今後はより貨物列車への利用の割合が増え、旅客ではパワーを必要とする山岳路線や季節要因などで編成が大きく増減する路線などに限定されていくと思われます。

機関車が目的別に違う形をしていることが楽しみだった私には少しさみしい時代になってきました
欧州のプラットホームは低いので、従来の客車はどうしても乗車時のステップが問題になります。Silberlingが内装を近代化しても、乗り降りのしにくさが理由で退役していることもあり、多くのNevenbahn, Nahvehrkerは低床式のディーゼルカーや電車に置き換えられています。


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