Epoche 0 のAbteilwagen
馬車に由来するAbteilwagen構造
Abteilwagenの小さい空間に向かい合って(Vis-à-vis)座るというかたちは、馬車の一形式に由来します。蒸気機関車による牽引が始まる前に、すでに鉄道馬車時代にAbteilが前後に複数接合されるスタイルができていました。
たくさんのドア・室内廊下なし
最初は各室は左右のドアからのみ出入りができました。各室は完全に独立しており、隣室へ行くにはドアを開けていったん車外に出る必要がありました。
初期の蒸気機関車はそれほど速くなかったので、乗務員は、走っている車両の外側につけられた長いステップを移動しながら各部屋の窓から検札しました。
乗客もなにかあると走行中にドアを開けることができてしまいましたが、走行中は風に煽られてドアが急に開き危険なこともあったかと思います。



この形式では、同室者が知り合い同士ならばプライバシーが保たれて良かったかもしれませんが速度があがり走行時間が長くなるにつれ、トイレに行けないとか、室内で犯罪があってもわからないといった問題が発生しました。
VVM – Eisenbahnmuseum Lokschuppen Aumüle より、初期のPreußenの Abteilwagenのドアを開けたときの状態が見られます。

わたしが子供の頃、Märklin のカタログを見ていたとき、EpocheIII のUIC-Xの大型客車やWürttenbergの2軸客車にはなんとなく親近感があった一方、Preußenの3軸のAbteilwagenはやたらドアや窓が多く、3軸という馴染みのない軸配置もあって、よくわからないとっつきにくい感じだったのを覚えています。
Großraumという考え方を受け入れない上層階級
ヨーロッパでは階級意識が根強く、特に上層階級では大きな空間に複数の階級の人たちが入るGroßraumという考えかたは定着しませんでした。そもそも乗車人数が少なく、荷物も人も同じ車両に乗せるNebenbahnではいくらか採用されたものの、主要幹線のSchnellzugwagenにGroßraumwagenタイプを採用したのはアメリカの車両の影響を強く受けたWürttenberg や、複数の窓に渡る車窓の風景に観光的価値をおいたスイスだけでした。
Epoche I のAbteilwagen
ベンチの横を切って確保した狭い室内廊下
Abteilwagenで組成された列車では、速度が速くなり、乗車時間が長くなるにつれ、車外での移動は危険かつ困難になりました。トイレは車両に装備されるようになりますが、外廊下のままでは停車時しか使えません。
ここで、車内に通路を設けるアイデアが出てきます。三等は木のベンチの端を切ってしまい、そこから横はそのまま廊下と考えることにしました。初期のSeitengangです。



トイレを装備したAbteilwagen
ドアが並ぶAbteilwagenの一部にトイレが装備されるようになりました。最初は、他の部屋のドアから出て、トイレのドアをあけて入っていたようです(危険)。このためまだ、トイレの部分に通常のAbteilと同様の外ドアがついています。この後、少しずつトイレ部分は室内からの出入り専用となり、外ドアはなくなっていきます。




4軸化したAbteilwagen。トイレが増える
車両が長くなり、収容人数が多くなると、複数Abteilで共用するトイレごとにグループをつくり、短いSeitengangで結ぶスタイルになりました。以下は1両あたり5箇所もトイレを持つようになった三等車の例です。



上層階級の一等、二等間ではトイレを共用しても構わないが、三等客とは分離したいという考え方が強かったのが、次の図面でわかります。車内はおおきく4つのグループに分かれ、一等が1室5人席、二等が3室それぞれ7人席、木製ベンチの三等が4室あります。右の一等二等は同じトイレを使いますが、二等以上と一緒に使われる三等のトイレはありません。一等二等と三等の間はトイレだけでなく壁で分離されています。二等以上の乗客と三等客は、乗車中一度も顔を合わせないことになります。

ここまでで見てきた車両たちは、長さや車軸の数の違いはあれど、四角い箱型の車体にたくさんドアがある一方、車両の片側の通しの側廊下や隣の車両に行くための通路がなく、代わりに高いところにブレーキを操作するスタッフのための小部屋のある、Epoche 0やEpoche Iの古いAbteilwagenスタイルのものです。
伯林/大都会交響楽-Berlinの街の人々とAbteilwagenの関わり

伯林/大都会交響楽 Berlin-Die Sinfonie einer Großstadt はWalter Ruttmannによる1926年のドキュメンタリーフィルムです。戦間期のBerlinの街の雰囲気と人々(多くは3等車を使った労働者階級)の生活がよく伝わってきます。冒頭「BR38 10-40に牽引されたSchnellzugがBerlinの街に入ってきて朝を知らせる」あたりが鉄道好きにはたまりません。朝、たくさんの労働者やオフィスワーカーが3軸の箱型のAbteilwagenに乗って周辺の街から勤務先のあるBerlinの中心部に通勤してきます。一部の資本家階級は運転手付きの自動車に乗りゆっくり出勤しますが、圧倒的多数を占める労働者はBR74やBR78などの蒸気機関車牽引のAbteilwagenやS-Bahn、U-Bahnを利用しています。列車が慌ただしく駅に入ると、しっかり止まるのを待つことなく一斉に各Abteilのドアが開いて人々が乗り降りします。当時のAbteilwagenがどのように使われていたのかがわかる貴重なシーンが連続します。
D-Zugwagenの登場
ここから後に紹介するのは、車端から車端まで通じたSitengang(側廊下)を持ち、連結部に通路があり、車外に通じるドアの数が少ないD-Zugwagenです。SeitengangをもつAbteilwagenは、Epoche Iの末期に登場し、Epoche IIおよび Epoche IIIの時期に量産され主流になりました。その嚆矢となったのは、20世紀はじめにPreußenで作られた20m級のSchwanenhals台車付きの2段屋根の車両でした。


この形式では、機能としてのSeitengang(側廊下)とAbteilがはっきりと区分され、木製のベンチでヘッドレストの無い三等席も、はじめて扉でSeitengangと隔てられました。

内装に木を利用している部分が多いものの、構成はほぼ現代のD-Zugwagenを先取りしたものです。


いったん発車すると駅間隔が長いSchnellzugでは、走行中にSeitengangを使ってトイレに行ったり、この頃利用され始めるWagenübergangのFaltenbalg(貫通幌)を利用して車両間を移動してSpeisewagenを利用したりできるようになりました。Seitengangで列車全体を行き来できる D-Zugwagenの登場です。これにより、長距離急行列車用の長い客車は、内部はAbteil構成にもかかわらず、ドアの数が大幅に削減されました。





Epoche IIのAbteilwagen
D-Zugwagen(Schnellzugwagen)
Epoche IIのSchnellzugwagenでは、1920年から第二次大戦後まで、外観はかなり変わりましたが、内装の基本構成は変わりませんでした。
すなわち、客車両端に乗降用のドアとWagenübergangに繋がる妻側のドアのある前室、車両中央にむけて片側にSeitengangがあり、そこからガラス扉を隔てて各Abteilが並び、Abteil群の両端にトイレがあるという構成です。
三等は木製のベンチでヘッドレストはなく、1つのベンチに4人が座り、1Abteilに8人が入るのを標準としていました(かなり窮屈)。二等は綿入りのモケットシートで1Abteilに6人でした。一等はカウチソファといっていい豪華なシートで、肘掛けになるクッションを自由に動かせたりしました。
この構成はヨーロッパの人々の生活様式にマッチしたと思われ、Gruppe23のHechtwagen、Gruppe29の鋼製リベット客車、Gruppe35の溶接客車、Gruppe39のSchürzenwagenと、車両の機構や設備がどんどん改良される中で変わること無く続きました。








Eilzugwagen
Abteilwagenとは違いますが比較のため、この時期に出てきたEilzugwagenについても見ておきます。Epoche II では、利用者が地元の駅からSchnellzugに乗れる大きな駅まで行くために使う快速列車=Eilzugが走るようになりました。そのための客車であるEilzugwagenでは、三等席は車両の中央に通路Durchgangが通り、通路と木張りのベンチは扉で仕切られることはありませんでした。ただ、座席と座席の間には背板が高く立ち上げてあり、その上に荷台が作られていたので、廊下との間に境界はないものの、心理的にはやや囲まれた感じが演出されてはいました。この各座席の上に荷台がある構成は、Epoche IIIのSilberlingに引き継がれていきます。


Eilzugwagenの二等以上の部分では、片廊下で扉を使って入るAbteilがある、ほぼSchnellzugwagenと同じ造りになっている二等のほか、基本構造は三等と同等ながら座席がモケットになり座席間隔が広い二等などのバリエーションががいくつか作られました。
ただし、車両と車両のつなぎめ(連結器の上)については、EilzugではFaltenbalg(貫通幌)ではなく金属製のGitterがあるだけで乗客が車両間を移動することは許されておらず、そこは鉄道スタッフ専用の通り道でした。EilzugにもFaltenbalgが装備されるのは1930年代後半以降です。
NevenbahnやNahvehrkerのPersonenwagen
主に二軸や三軸の小型車両を用いたNevenbahnwagenやNahvehrkerwagenでも、一、二等は片廊下のAbteil、三等は仕切りなしの中央廊下という造りはEilzugwagenとほぼ共通でした。客車のボディの大きさにかかわらず、内装の造りの等級による差別化はほぼ共通に行われています。






Epoche IIでは箱型でドアの多い旧式のAbteilwagenは新造されませんでしたが、Epoche I に大量に作られていたのでそのまま使われ続けました。
Epoche IIIのAbteilwagen
三等級制から二等級制へ
1956年に、欧州の客車は三等級制から二等級制に改められました。それまでの多くの一等・二等Abteilは一等に統一され、木のベンチだった三等の座席は二等になり、Schnellzugwagenではクッション入のモケットシート、Nahvehrkerswagenでは合皮シートが与えられるようになりました。
Schnellzugwagen
Schnellzugwagenでは三等から格上げされた二等も座席がクッション入りのモケットシートとなり、ヘッドレストがつきました。1Abteil8人定員だったのが、6人定員に改められました。暖房設備や換気設備は標準でしたが、1960年代以降も冷房設備は贅沢で、Gruppe63などの新設計の客車でなければ装備されていませんでした。旅客は窓を大きく開けることができました。


Nahvehrkerswagen
Epoche III初期には旧型のAbteilwagenの余剰と快適な客車の不足が問題になりました。このためDBではドアの多い古いAbteilwagenから3ygが、20m級のAbteilwagenから4ygが作られました。これらはUmbauwagenと呼ばれます。同様にDRでもRekowagenが作られました。
DBでは二等級制になったあと、Umbauwagenの3yg,4ygからn-WagenのSilberlingにいたるまで、車両全体が一等というものは作られず、「一等部分」を持つ車両が編成に一両だけ含まれるという運用でした。それでも「一等部分」は、片廊下になっており、Abteilは独立した室になっていて、廊下との境の扉を閉めたときの雰囲気はSchnellzugwagenのAbteilと変わらないものでした。
Epoche IVのAbteilwagen
Schnellzugwagen
エアコンつきの二等GroßraumwagenであるBpmzが開発され、26.4mのUICベースの設計の二等車にもGroßraum時代が来ました。Schnellzugwagenの利用者も着飾った上層階級やビジネスマンから、若いバックパッカーに変わってきました。階級意識の薄れと同時に鉄道のコモディティ化が進み、国にもよりますがEpocheIVでは一等も二等も車両全体がAbteilのものを新造することは少なくなってきました。西ドイツのEpoche IVでは DB Produktfarben der Deutschen Bundesbahn に従い外装色が変わりました。InterRegioの設定とともに一部のBm234,Bm235はアスベスト除去を含め一部は外壁の内側をほぼ全部交換するレベルの改造を受けBim263系に改良されました。Bim263系は車端部にはSeitengangとガラス扉の形式のAbteilが残るものの、車両中央部はほぼGroßraumといってよいくらい開放的に変わっています。
Avmz系の一等はエアコン車だったので良かったのですが、改造を受けなかったBm234,Bm235のAbteilwagenはエアコンなしで、だんだんと定常運用からはずれ企画列車向け保存車両のようになっていきました。


Nahvehrkerswagen
Umbauwagenの3yg,4ygは概ね退役していき、MuseumszugやSonderzugでのみ見られるようになっていきました。n-WagenのSilberlingは、オリジナルの内装がくたびれてきて、City-Bahnなどのトライアルの結果さまざまなデザインカンパニーが内装を手掛けるようになりました。そんななかで、一等Abteilも従来のデザインの約束の枠にとらわれることのない改良を受け、全体として閉じた個室からガラス張りで見通しのよい空間に変わってきました。


Epoche V以降
Epoche V以降では多くの列車で、Bpmz系のGroßraumwagenが組み込まれることが多くなりました。
国による違いはありますが、保守・清掃のしやすさや治安の問題等があり、Bm234やBm235の退役後に新造される二等車はGroßraum化していく傾向にあります。
新しい列車では、あまり厳密に部屋を区切るというよりは、高いパーティションで区切るという形に変わってきています。
Großraum全体をビジネスクラスにしたり、喋らないで静かにすることを要請するといった新しい方向性で、部屋を細かく区切らずに共通するニーズを持つ人をそれぞれのGroßraumに集める方向にしているようです。
また、ICE3のように、Großraumの車両の端部に、家族やグループ向けのパーティションを数個設けるといった方向性もでてきました。いずれにせよ、クシェットやSchlafwagenでないもので、車両全体がSitengangつきのAbteilになっているというのは古い車両という感覚のようです。

コメント