人物-Anton Hammel(1857-1925)

Person
"Joseph Anton von Maffei 03" Karel K. / Public Domain / Ausstellung Brüssel 1910, Lokomotive vom Typ Pacific, gebaut von J. A. Maffei

王国鉄道時代のBayernの機関車設計者

Anton Hammel(1857-1925)はBayernのMünchenで生まれ、Münchenの商工業学校に通い、1875年に機関車工場 J.A.Maffei に入社しました。Hammelはそこで設計者から管理者になり、1925年に亡くなるまでJ.A.Maffeiで管理者を務めました。

1871年にドイツ帝国が成立しましたが、鉄道は第一次大戦後まで王国や大公国ごとに運営されることとなりました。のちにEpoche I と呼ばれる鉄道発展期には各王国鉄道でそれぞれ著しい技術の発展がありました。HammelはそんなEpoche IからEpoche IIにかけて、BayernのJ.A.Maffeiで機関車を開発することになります。

Bayernの機関車の特徴

Bayernの機関車には、熱効率のよい過熱蒸気方式で、複雑だが優秀な技術者が保守をきちんと行えば優れた燃費が期待できる複式4気筒が採用されています。

発生した蒸気を高圧シリンダーと低圧シリンダーで二度動力変換できるので燃費の良い複式4気筒方式は機構が複雑で保守担当者や機関士に高い技術水準を要求するため、Preußenでは避けられる傾向にありました。Bayernであえてこれを採用した理由は、良質な石炭を産出するRuhrgebiet(ルール地方)やSchlesien(シュレージエン地方、現ポーランドのŚląsk)のいずれの炭鉱地帯からも遠く、地元では品質の劣る褐炭しか得られないという地理的な理由と、機械の扱いに熟練したマイスターが多く育つ土地柄という文化的理由の両方があったのではないでしょうか。

J.A.Maffeiは、20世紀初頭に米国のBaldwinから4両の機関車を輸入しており、そこから得られた知識を機関車開発に適用しています。

s2/6とs3/6の設計

“S 2 6 Verkehrsmuseum Nuernberg 13032010” by Urmelbeauftragter Licensed under CC BY-SA 3.0 / adjusted the brightness by Radsatz

1902年 Hammelは2200mmの巨大な動輪を2組持つBayerische s2/6を設計し、J.A.Maffeiはそれをたったの4ヶ月で作り上げました。s2/6は 、1906年のNürnberg博覧会で展示され、1907年にはK.Bay.Sts.B.(王立バイエルン邦有鉄道)が買い取り、1907年に4両の客車を牽いて154km/hという速度記録を出しました。

2200mmの動輪が細身の棒台枠に取り付けられているため、腰高の機関車の下半分はシースルーとなり、きわめて上品で美しい印象を持ちますが、実際には動輪2軸の粘着力は弱く、重量客車を牽引しているとわずかな上り勾配で滑ってしまうという弱点も持っていました。

Hammelはs2/6の動輪の滑りの経験を踏まえたうえ、1907年にドイツ初の2C1軸配置の機関車としてG.Bad.St.E.(バーデン大公国)の Badische IVf型機関車を設計しました。これも、非常に美しい機関車です。

そして1908年、満を持して重量のある列車も牽引できる美しく省エネでバランスのとれた機関車、Bayerische s3/6がデビューしました。本機はK.Bay.Sts.B.時代に70両、DRG時代に89両と、ほぼ25年にわたって生産されました。Hammelが亡くなったあとも生産が続けられたことになります。s3/6はRheingoldの牽引機をふくめ、長きにわたり使われました。今でも実機・模型を問わず多くの人を魅了し続けています。

Mallet式の貨物機 Gt4/4×2 の設計

1913年、Anton Hammelは、 Bayernのきついカーブの山岳路線で重量貨物を牽引するための機関車として、Bayerische Gt 4/4×2 (のちのBR96)を設計しました。

Gt 4/4×2はスイスのAnatole Malletが1884年に発明した関節式構造を採用していました。機関車メカニズムのファンとしては興味をそそられ、独立したピストンロッドが動いてくねくねしながらカーブを通過する場面は模型好きにはたまらない魅力がありますが、一方でBayernの機関車の例にもれず、複雑な機構を持っていたためその保守・整備には高い技術力を必要としました。

PreußenとBayern

Preußenでは、とりたててスピードは速くなくていいから、保守が簡単ですぐに修理でき、性能のばらつきの無い機関車を良しとします。多少偏見があることを承知で書けば、Preußenでは、都市居住者が多いため人の入れ替わりが激しく、誰でも決まった手順で整備すればそこそこの性能が出るというのが望まれたのだと思います。このため、とかく官僚的ですべて標準化しようとする傾向がありました。工業化に伴う人口の集中も早く、鉄道も、貴族がゆっくり旅行するというより多くのビジネスマンや労働者が会社や役所に通うために小刻みな運用を遅延なくできるほうが重要だったと思われます。

これに対してBayernでは、整備が難しくても省エネな機関車が好まれました。じっくり研鑽を積んだ職人のいる土地なので、手間がかかることはむしろ彼らの腕の見せどころだったたかもしれません。多少性能のばらつきはあっても、こだわりのある職人が磨き上げた機関車を、生産力があって保守的な農民と貴族がゆったり暮らしている土地で使っている、というのがByernの印象です。

写真のタイトルをクリックまたはタップしてもオリジナルページが表示されない場合は、右クリックまたは長タップしてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました