こんにちは。大きく真っ赤なスポーク動輪が大好きな「Radsatz」です。

私 Radsatz について
模型の楽しみ方
頑丈なモデルが好きです。それをどんどん開けていじって仕組みを理解したり、よりリアルにするために改造したりするのが好きです。後日転売することとかはあまり考えません。
Märklinを中心とする3線式H0のシステムでずっとやってきたので手持ちの動力車の多くは3線式のドイツモデルです。わずかにスイスとオーストリア、オランダのモデルがあります。最近ではポーランドのモデルにも興味が出てきました。東欧のモデルには3線式はなかなか無いので、少しずつ2線式も抵抗なくなってきました。デジタル時代になって給電のしくみを除けば機関車の内部はむしろ共通になってきてるように感じます。
小さな仕掛けがちゃんと動くのが好きです
複雑な仕組みが動くのを見ることのできるモデルが好きです。たとえば蒸気機関車のワルシャート式弁装置の逆転機構や緩衝機構の動く台車(H0ではなかなか無いです)、複雑な分岐器がどうやって切り替わるかや、その上をフランジ付きの車輪がなぞっていくところなどです。

特に、1920年代のGörlitzの台車が好きなのですが、なかなか台車の仕組みをじっくり観察できる機会がないので、このブログでも昔の大判のモノクロ写真を使って臨場感の中でその仕組みを見られるように工夫しています。
デジタルデコーダーや小さな電子部品を使い、光・音・加熱・モーターや電磁石の動きで小さな部品を動かす方法についても興味があります。
スケールの正確性について-妥協してます
Epoche III以降の標準客車や食堂車の長さについては、1:87で正確に縮小すると、実物が26.4mある一般の車両は303mmとなり、実物が27.5mもあるSpeisewagenでは316mmにもなります。多くの模型メーカーはきついカーブの通過性よりもスケールの正確性を優先しています。一方おもちゃの世界から来たMärklinは60年におよぶ過去の経緯があり、じょじょに長くなってきましたが、今でも食堂車含め283mmであり、同じ会社のモデルでも、Epoche IIまでの客車と、UIC-Xと食堂車で、スケールが違っています。
これに関しては、厳密に考え過ぎるとそもそも限られたスペースで走らせて楽しむということができなくなってしまうので、ざっくりと、次のように考えています。

1両を仔細に確認したいときは1:87のほうがいいけど、狭いとこで連結して走らせるときは1:93.5とか1:100でもいいんじゃないの?
私の大まかな方向性
- H0(1:87)、UIC-Xやn-Wagenの長さについては1:93.5
- 旧西ドイツ主体、スイス、オーストリア、オランダ、ポーランド少々
- 主に3線式、2線式もOK
- デジタル方式。DCCとM4
- ピストンの動きと音の同期は合っててほしい
- 極端なプロポーションのバランスの崩れは受け付けない
- ブログ作って気が付きましたが、つなぎめとか床下とか台車とか好きですね。
悩み事
なんといっても、機関車のロッドや客車の軸箱にからまる猫の毛と、最近とみに進んできた私の老眼です。
私のおいたち
子供時代
隣家の叔父がカメラや模型などハイカラ好きで、隣家にあった外国のイラストや図鑑を見るのを楽しみに育ちました。隣家には、交流3線式のMärklinの鉄道模型がありました。私の心を捉えて離さなかったのは、ぽっぽと煙を出す機関車、信号が赤になるとちゃんと止まること、架線集電により電気機関車を蒸気機関車と別々に運転できることなどでした。クリスマスになると隣家でお座敷に線路を敷いて運転会を開き「クリスマスメルクリン祭」と呼んでいたのもいい思い出です。
Embed from Getty Imagesその後父の仕事の関係で私にも天賞堂さんとの小さな縁ができました。当時天賞堂さんは西ドイツからMärklinの輸入をしており、カタログを擦り切れるまで見ていました。

Steppenfeld BR24や青のBR110を父にねだって買ってもらいました。現在のようにインターネットで外国の状況をすぐに見ることができないながら、日々走らせる中でイメージを膨らませていたのでした。
その後、中学を卒業する頃には鉄道趣味はいったんおやすみになります。
ヨーロッパ訪問と再びの出会い
最初の渡欧
1987年 父の学会がジュネーブであり、それについて私も渡欧するチャンスが訪れました。夜の駅に停車したSBB Re4/4は、部屋を暗くして信号機や車内照明を点灯したロマンチックな夜間運転の記憶を呼び覚ましました。渡欧した人が「Märklinが走っている!」と感じたと聞いたことがありましたが、さすがにおもちゃと実物は違うだろ?と思っていたのですが、実際に行ってみるとほんとうにそう感じたのにはびっくりしました。幼いころMärklinを通じて植えられた種が、ヨーロッパに行くことにより水を与えられて芽を出したみたいな体験でした。
デジタル化したMärklinの再入門
同じころ、Märklinはデジタル化の試行期に入っていました。渋谷の東急プラザには老舗の「レオ」という店があり、BR85,Ae6/6とデジタルの運転器を購入しました。このとき、機関車にIDを振っておけば同じ線路上で複数の機関車を別々に運転できることを体験しました。当時パソコンでは一対一の通信からインターネットへの移行、音楽でもMIDIという規格が出てきており、デジタルを使えば同じライン上での複数の対象と同時通信できるという概念は自然と受け入れられました。
二度目の渡欧と車両たちとの出会い、現地でのMärklin購入
1993年 父が仕事でオランダに滞在することになり、二度目の渡欧のチャンスが訪れました。Utrechtから往年のRheingoldのコースを通ってRhein川を遡り、スイス・アルプスに滞在してから、オーストリアのArlberg越えをし、InnsbruckからKarwendel線を使って南ドイツのGarmisch Partenkirchenに入る計画をたて、InteCity,EuroCityに乗りながら実際に乗った車両をカタログでチェックしました。
時期はEpoche IVの終わり頃で、EuroCityはSBBのEurocity客車とDBのOzeanblau/Elfenbeinに塗られたBm235で組成されていました。 BR103は、いくつも見ましたが1回だけOrientrotでした。多くのInterCityの客車はOrientRot/Pastelviolettになっており、BayernではSilberlingがBR111に押されたり引かれたりしていました。Silberlingは概ねすでにMinttürkis/PastelTürkisに塗られていましたが、Karlsruher Kopfの制御車は、まだ「銀貨」が見えているものが混在していました。オーストリアでは先頭にBR1044が立ち、最後尾からBR1020が押してくれました。その後、DB/DRの統合とICEの拡大、Silberlingの退役などが続くことを思うと、Epoche III, Epoche IVの西ドイツの模型に親しんでいた私にとってはとても馴染みのある車両たちが活躍している現場で出会うことができたのでした。
旅の最終日にNürunbergでそれらのMärklinモデルを現地購入して帰ってきました。
Märklin社の破産申請と模型の個人輸入
Embed from Getty Images2009年2月、 Märklin社が破産申請したというニュースを聞きました。これは、自分を育ててくれた文化が危機を迎えたように感じ、微力ながら、ドイツのお店から個人輸入をするようになりました。
このブログでは
モデルの開け方のコツからはじまり、ディテールにスポットをあてた小改造や色差し、壊れやすい箇所の補強、時代や地域のムードを出せるポイントとか、小さな労力で大きな効果の味わえるギミックとか、音のバランス合わせとかについて触れていきたいなと思っています。やってくうちに変わってくるかもしれませんがそれもまたお楽しみということで。

どうぞよろしくお願いします。